洛中洛外図「二条殿」遺跡発掘説明会 2002年3月9日
 前日の新聞に、室町時代に書かれた「洛中洛外図」にある、建物と池の遺跡が発掘され、3/9説明会があると掲載されてました。
 両替町御池上ルの発掘現場の説明会に参加してきました。
 元龍池校講堂にて説明会を1時間、後現場の見学会となってまして、講堂には立見席がでるほどの歴史ファンが、、500名以上は集まってますでしょうか、熱心に説明を聞きました。
 
 遺跡は、「江戸時代の、金座銀座跡」 「織田信長の住居跡」 「二条殿跡」 の3層になって発掘され、「京都洛中洛外図」の二条殿跡が公開されました。

 京都の中心地、約600年前までさかのぼり、発掘前から、この地には何が建っていて、その図まで残っているのは、さすが歴史の地京都ならでしょう。

 烏丸通りの西、今、「両替町通り」と言っている所は、江戸時代後半、伏見から、金座銀座を移設し、金融の中心地で、この発掘でも、大きな蔵跡が出てきたが、金貨、銀貨は、でなかったそうです。

 「織田信長の住居跡」の層には、細かい石垣がめぐらした跡が、発掘されましたが、どのような住居配置になってたか?まだ、これから解明されるそうです。本能寺の変では、信長の息子がこの地で自害した記録がありますが、其のときの火災で、「二条殿」としては歴史は終わっているそうです。
 
 「洛中洛外図ー二条殿」は、この地に広く庭園と建物があった様子で、池の名前が、「龍躍池」から、今の「御池通り」や「龍池校」として名前が残っているのも、この庭園からのなごりだそうです。
室町時代の「洛中洛外図」この庭園跡が発掘された。
江戸時代の金座、蔵跡が、、  織田信長の屋敷の石垣跡の図 
「二条殿」跡、丸い穴は、柱跡、今の地表からは、5-6m
下になる。池跡は建物跡から2m程下がった所にある。
西側(写真前方)が、池跡で、水面は2mほど下がった所にある。
                  中西  徹
inserted by FC2 system